文系の陰謀
久々に心底腹の立った記事です。
一言で言えばまったくもって理数系ではない。まったくの「頭が固いだけ」だ。
理数系の進出を阻もうとする文系の陰謀なのではないかとすら感じる(だとすればなかなか頭の切れる人だ!)。
もしくは理系というものをまったく理解していないゴミクズなみの知性のかけらも無いゴミクズな記事でしかない。
前者だといいなーと思う。
理数系とは
僕も自称文系だけど根っからの理数系としては、理数系の基準って「数字」ではなく「理論立てて考える」ことです。
数字ってのは好きだけど、道具でしかないのです。今どきのイラストレーターで例えるならイラストを描くのが好きであってもPhotoshopがとにかく好きで、それ以外使いたいわけはないということ。
Photoshopは道具であって、あくまでも書きたいのはイラスト。もっと良い道具や自分に合ったものがあれば乗り換える。
数字ってのも同じものだと思う。数字は好きです。でも数字が好きだから理数系なんじゃなくて、理論だてるのが好きで、その道具として便利なのが数字。だから数字が好き。そういうもの。
大事なのは理数系というのは「本来理論を考えるのが特に好きな人」ということなんじゃないかなと。
数字だけなら「数系」でいいじゃん。理論の「理」はいらない。
あえて「理数系」と呼ぶのはそういう違いだと思う。
前提:「3cm~4cm」という指示
大根を3cm~4cmというのに、なぜ3.5cmなのか?まったく意味が分からない。
平均だからか?
バカか?そうならば最初から3.5cmと指示をするだろう。
あえて、曖昧にするんだ。
「なぜ3.5cmと指定しないのか?むしろ曖昧なことに理由がある」と考えるのが妥当だ。
重ねて言うけど3cm~4cmという振れ幅をあえて指定しているのだから、そこに意味があると考えるのが理論だ。
パッと思いつくのは「極端」に言えば二通り。
・とりあえずハッキリ言うとクレームが来るので曖昧にしている ・ハッキリ指定できない理由がある
このどちらからじゃないかな?
前者だと感じたなら、そんな料理教室に通うだけ時間の無駄なのでとっと帰るのがいいんじゃないかな?
だか、「習いたい」と思ったのなら後者であることを信じ、それを前提に考えたい。
曖昧であることの必要性の理論
人間の味覚は趣向に影響されるが、それ以外にも体調や、それこそ天候などにも影響される。
例えば、暑い日は汗を多く流すので必然的に体が塩分を欲しやすくなる。
体が塩分を求めると、やっぱり塩分は濃いめのほうがおいしく感じるのは経験則的に知っているはず。
つまり、塩加減ひとつにとっても、状態によって異なるわけだ。
これは具材の大きさでも同じだ。
例えば、同じ飲み物でも飲むときの入れ物によって味の感覚が変わるのは良く知られている。
そうでもなければ、ワインを湯飲みで飲んでもいいだろうし、お茶をワイングラスで飲んでも一緒だろう?
でも実際には、口の開き方次第で口当たりも変わるし、それによって受ける印象も違う。
これを話を具材の大きさに戻すなら「口の大きさ次第で具材の大きさも変わる」つまり「具材の大きさは口の大きさや体調、趣向、天候などによって変わる」というのが正しい指定じゃないだろうか?
しかし、そんな事を言い始めたら「では大根の大きさは、口の大きさx体調(前日の汗の量と運動量)x気温x湿度...etcで求めることができます」なんてことになってしまう。
まぁそんな計算無理ですよね。
でも、人間の口の大きさが1mにもなるわけもなく、大体何cm(それだって年齢ごとに平均値は変わるだろうし)みたいなものはあるわけで、そこからやっぱり経験則的に「3~4cm」なんだと思う。
理論的に言うなら「大根の基準の大きさを "x" とすると、体調や口の大きさなど測定が困難な値 "y" を掛け合わせるとおおよそ3~4cmになります。」ということだろうか?
おおよそって、アバウトだけどしょーがない。だって誰も証明しようと研究してないと思うし、論文もおそらく出てない。
つまり、複雑すぎて計算できない曖昧な基準であるため、「大根の大きさはだいたい3~4cm」が正しい。
なぜ3.5cmなのか?
平均値ではあるが、平均だから正しいわけではないのは良く知られたこと。
平均値だと失敗しにくい傾向はあるけど……そこまで拘る理由はない。
それどころか3.5cmはあならの口のサイズにぴったりではない可能性が高い。
だいたい「大根」そのものだって、厳密には味が違うわけだし。
つまり3.5cmに合わせることは何の根拠もなく、それどころか「あなたにピッタリのサイズではない確率が高い」っちゅーこった。
じゃぁ何センチ?
知らない。んなことわかるか。
何センチって決めたとして、それが本当にベストかどうか証明できない。
証明する式が見つかったとしても、それには恐らく相当大量のデータが必要。
たぶん、料理している時間よりも体調などを計測している時間のほうがはるかに必要なくらい大量のデータが必要。
仮にデータが揃ったとしても「3.5cmが答えである確率はほぼ0に等しい」だ。
また、最適な大きさを求める=正しい計測が必要=計測する時間が必要
そのとき
計測する時間÷料理する時間=正しいサイズを求めることによる得られる幸福度(幸福率と呼ぶとする)
とするなら、計測時間が長くなる(血液検査ですら時間かかるでしょ?)ことで幸福率が低下する可能性が高いのが安易に想像つきます。
おいしい料理というのが幸福度を高めるためというのなら、検査によって発生するコストを考えると、そこそこいい加減に作ったほうが幸福度が高そうだ。
なので、何センチかを求めること自体が時間的労力の無駄だし、今のところそれが「正しいとする証明がない」
結局どうすれば?
とりあえず3~4cmでいい加減に切ってみるのがいい。
別にそれで「もうちょっと大きいほうがいいな」と思ったら、次回はもう少し大きくすればよい。逆なら小さくすればよい。
今回失敗しても、取り返しのつかないことにはならないし、中には大根の大きさをもっと大きくしたほうが好きな味になるかもしれない。
もう一回いうけど、「とりあえず3~4cmでいい加減に切ってみる」のがいい。
気に食わないなら5cmでもいいよ。もしかしたら、そのほうが自分の好みに合うかもしれない。
もっと言うなら、多少バラバラに切って、その中から自分が好きな味になる大きさを探るのが最も効率が良いと思う。
技術者視点
理数系というよりエンジニア的発想から言えば「そうした日々変わる味の変化に対応することこそが経験であり、職人芸。人間の体にはまだ証明されていない能力がたくさんあるのだ!」ということだと思う。
実際、世の中はニュートンが重力を定義する前から重力はあるわけで、現代でもダークマターのように「あるはずだけど証拠が見つかってない」みたいなもんもあるわけだし。
まぁ、最適なサイズというのが計算で求まるとしても……「なんとなく」で作るよね。
余談
こういう話をする男は女性から嫌われるらしい。
数年前にTVで「女性に嫌われる男」という項目に「ホワイトボードで説明する男」というのがあった。
ちなみに、僕の家にはホワイトボードがある。
そう思うと、僕が女性にモテないのは非常に納得がいく。
それはさみしいけど、たまに涙を流すけど。
でも、そういう生き方が好きなので、たぶんやめない。
まぁ、とりあえず、「数字を出したら理数系」ってのはやめてほしいなぁ……。
いやほんと、日本って理数系の地位を下げる努力を惜しまない風潮を感じます。
PS。酒飲んで書きました。たぶん明日自分で読んで恥ずかしくなるので、言い訳。